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就活や進路選択をはじめ、生きていたら人生の一大イベントにぶち当たりますよね。
その時に、
「自分がどうしたいのかがよくわからない」
「どれが自分にとって正しい選択肢かわからなくて迷って決断できない」
ということもあるんじゃないでしょうか。
一度っきりの人生なので、後悔のない人生をおくりたいですよね?
でも、周りの声に流されてしまうことってありませんか?
実は、ぼくもそうでした。
「なんとなく」で公務員になって14年働きましたが、今はフリーランスとして活動しています。
大半の公務員は辞めないので、「なんで14年も働いていたのに辞めようと思ったんですか???」と聞かれたり「よく決断できましたね!」と言われます。
ありがたい話で、こういった経緯や想いについて質問してもらうことが多いです。
でも、もともとそんなに意思が強いタイプでもなかったし、自分の想いを伝えることができなかったし、周りを常に気にして生きていました。
でもキッカケさえあれば、自己決定力を高めて後悔のない人生をおくることはできるようになります。
今回は自己紹介を兼ねて、この超重要な自己決定力の必要性に気づくまでのお話をシェアしていきます。
テレビや学校では学ぶ機会がないことです。
後悔のない選択をしていきたい人は、損したくないように見逃さないようにしてくださいね。
周りの目を気にしてばかりいた学生時代
ぼくは奈良の田舎で生まれて育ちました。
田舎だったのでおばあちゃんとか両親は、ご近所さんからどう思われるかをすごく気にしてました。
でも幼稚園の頃のぼくははしゃいだり大声を出すのが好きなタイプでした。
「ひとりででできるもん!」
「自分で決めたい!やりたい!」が口癖の子どもでした。
でも、おばあちゃんや両親は、
「ちゃんとせんな笑われるぞ!」
「バカにされたらアカン」
「言うこと聞かなアカン」
が口癖でした。
そういうことを言われて育つ環境だったこともあり、小学校に入った頃には、、、
「こんなことしたら嫌われるかな」
「笑われるかな」
と周りを気にするようになっていましたし、自分の想いを伝えることがすごく苦手でした。
どのぐらい苦手だったかっていうと・・・
小学6年生の時の作文の時間があったんですけど、先生から当てられても緊張で作文が読めないレベルでした。
ぼくが作文を読まないんで、クラスメイトが「クスクス」って笑うんですね。
それで立ったまま泣いちゃうみたいな感じでした。
でも、中学からは友達のゆうきくんが「バンドやろうや!」って言ってくれて、ベースを弾く日々に変わります。
言葉で想いを伝えたりするのが苦手なぼくでも演奏でコミュニケーションを取れるから居場所がありました。
時代はビジュアル系全盛期、X、LUNA SEA、L’Arc~en~Cielが流行っていて、高校は軽音楽部に入ってたしライブハウスでライブしたりしました。
でも、高校2年生くらいになったら、「将来どうするんだ?」って言われるようになるでしょ?
それで「ミュージシャンになりたいなぁ」とかも思ってたんですけど、「それで飯が食えるんか???」って親とか先生って言いますよね。「現実を見ろ」とかね?
メンバーも同じように就職だとか大学進学でバラバラなっちゃったんです。かといって東京に行ってメンバーを見つけてバンドをするみたいな自信もない。
だから自分も
「とりあえず大学に受かってから考えよう」
と思って勉強し始めます。
でも、それまでほぼ勉強しなかったんでほとんどの教科が赤点スレスレ。軽音楽部だったんで赤点をとると部活ができないから赤点はなんとか回避してたけどスレスレの成績でした。
そんな成績だから大学受験は、現役受験で全部落ちて、一浪して予備校に1年通って勉強してもまた全部落ちました。
それで「これからどうしよう・・・」ってなった時に、一緒に予備校に通っていたタケが話しかけてきました。タケは教師を目指していたモヒカン頭の子だったんですけど、タケも受験全敗だったんです。
そのタケが「公務員になるために勉強するわ!公務員試験対策の専門学校があるんやけどお前も行かへん?」と言ってきました。
当時のぼくは、世の中にどんな仕事があるのかわかってなかったんですけど、公務員はなんかイメージできたんですよ。ハンコをぽんぽん押してる、市民課とか税務課のイメージですね。
ちょうどその頃に、家族会議が開かれました。
親から「何に興味あるねん?」って聞かれたので、「美容師か公務員」って答えたら「美容師は難しいやろ、公務員は堅いしええな」と応援してもらえたんですね。
でも、自分は勉強が苦手だし受験に失敗した自分が公務員試験に受かるのかなぁって思っていて、、、とにかく自信がなかった。「どうせまた無理じゃないかな」って思ってました。
そう思ってたある日、またタケが、
「大阪の難波・心斎橋に服買いに行くから付いてきてくれ!」
って言ってきたんで、行ったんですよ。
そしたらその日に3回ぐらいホストの勧誘を受けて「うちで働きませんか?」って言ってもらえたんですね。それがめちゃくちゃ嬉しかったんですね。
この人たちは「自信ゼロの自分を求めてくれるんだ!」って思いました。
「公務員試験に全部落ちたらホスト業界で働かせてもらって、お金を貯めて美容師の専門学校行こう!」と開き直りました。
この件で気持ちがすごくラクになったんです。
それまで「落ちたらどうしよう」っていう心理的プレッシャーがすごかったんですよ。
それから2年間、朝から寝るまで勉強して、スレスレで奈良県庁に合格しました。学校のクラスメイトと教え合いっこできたおかげで成績が上がっていったんです。
教える側になると説明しているうちに理解力や思考力が鍛えられたおかげです。記憶も定着しやすかったです。
転機:人生の師匠との出会い
公務員になって実際に働き始めてわかったのが、公務員になることがゴールだったので「公務員になってからどう働くか」という目標が無かったんです。
言われた事しかやれないから楽しくないんですよ。
公務員になってからもあいかわらずコミュニケーションがめっちゃ苦手でした。
3年奈良県立医大で経理を担当して、その後の3年は県庁で道路の苦情を10,000件聞き、その後も県庁内で、精神保健の仕事の担当になりました。
この仕事がどういう仕事か気になっていると思うので説明しますね。
自傷行為とか傷害事件を起こすおそれがある人とか、起こした人が大体は警察署に保護されるんですね。
そこの警察署から精神科病院に車でお連れして入院が必要かどうかの立会いをするっていう仕事でした。
この仕事を担当し始めた頃のぼくは正直いうと、「1番行きたくない部署に配属になったなぁ」という気持ちだったし「鬱は心が弱い人がなるもんだ」とか偏見を持ってました。(今考えたら、当時の自分を殴ってやりたいと思います)
そう思う理由は、その部署に配属された1ヶ月後に母が鬱になったんからで、さらにその1ヵ月後の6月に自殺してしまったんです。
その時に、今まで他人事だと思って働いてたから母がしんどいことに気付けなかったんだと落ち込みました。
夜も寝れない、一睡もできない日も続きました。
でも、そういう状態でも仕事には行って、10ヶ月無心で働いてたら次の年の4月に、ぼくの人生を変える2人組が新しく部署に配属されてきました。
この2人との出会いで、ぼくのキャラも人生も大きく変わることになります。
その2人とは、上司の40代後半のNさんと、精神保健福祉士という国家資格を持つカウンセリングや相談に対応するKさんでした。
2人は、ぼくの母親が亡くなった経緯や事情も知ってくれていたのです。
まず、Kさんがめっちゃ話を聞いてくれたんです。
「これまで大変やったね」
傾聴・カウンセリングをしてくれて気持ちをラクにしてくれました。
その頃のぼくは、相談するのがめちゃくちゃ苦手だったので、このKさんにホンネを聞いてもらえてめっちゃ助かりました。
そして、Nさん、人生の師匠です。
師匠が向き合いをしてくれたんですね。
どんな風に向き合ってくれたのかって言うと、、、
「お前はどうしたいんや?」って聞かれるんですよ。
職場でも出張しても飲みに行っても。
その師匠に対して、
「こんな組織じゃ」
「制度が法律が」
とか言ってたんですけど、
師匠は、
「周りなんてどうでもええねん。俺はお前の話を聞いてるんや」
と言ってくる。
そうなると自分の想いを言うしかないじゃないですか?
でも出ないんですよ、言葉が。
その後も、「お前はどうしたいんや?」と言われて、それが習慣になっていきます。
そう聞かれると、ぼくも
「自分はこれからどう生きたいんだろう」
「どんな風に働いていこう」
って考えることが習慣になっていきます。
またある日、「お前はどうしたいんや?」
って聞いてきた時に、
「母のように亡くなる人を減らしたいです」
と口から出たんです。
実際、心理学、脳科学の勉強を始めていたし、日々の業務の中で「人間とは?人生とは?」と考えたり、知識をつけながら患者さんやご家族のカウンセリング・相談対応もしていました。
そういう日々の中で1つ大きなことに気づきました。
「自分で自分の人生を決められていない人って病みやすいんじゃないか?」と気づいたんです。
世の中には、スパルタ教育を受けている人もいますよね。
高校時代までは聞き分けが良かったりするけど、大学入試に失敗したり就職で失敗した時に「自分はダメだ、価値がない」とメンタルを崩している人の割合が高かったんです。
師匠にこのことを伝え、「自分で自分の人生を決める自分になりたい」と言いました。
そしたら「ええやん!お前ええやん!」て言ってくれたんです。
こうやって気づきを与えてもらえたり、大きい委員会でプレゼンする機会や役割を作ってくれたので、そういったチャレンジできる環境があったことで自分を変えていきやすかったんです。
精神保健の現場を担当して4年目に思ったのが、広報力・伝える力が必要だと思ったんです。住んでる人たちは精神障害への誤解も多いし。
心が弱い人が病むんじゃなくて、育って来た環境とか自分で人生を決めることが難しいとか色々あるわけですね。いろんな知識や大切なことを伝えるスキルを身につけたいと思って広報を希望しました。
人事異動の希望で紙にびっしり書いて出したら希望が通ったんです。
次の広報課でも、人と向き合う仕事ができました。
特にインタビュー取材が楽しかったです。
それまでの相手の話を聞くっていう相談業務をやってたのがこの時に活きました。人の想いを聞いて、記事や動画にしたりする仕事でした。
この仕事をしていて楽しかったんですけど、3年7ヶ月経った時に人事異動があって、人と向き合う仕事ができなくなったんです。だからその時に独立してフリーランスとしてやっていこうと決意しました。
考え方のクセ変えられることがわかった、ある「10ヶ月講座」
でも独立してみたら、公務員根性が抜けなくて大変でした。
お客さんを待ってても来ないですからね。
自分から行かないといけない。
公務員根性からフリーランスの価値観にゴロッと変える必要があったんです。
実際、独立した初月は、公務員時代の給料の4分の1になっちゃったんですね。
「これはヤバイなぁ・・・」
そう思っていた時に、幼稚園からの幼なじみが起業家精神を養うための10ヶ月講座を案内してくれたんです。仏教哲学とアメリカンリーダーシップをあの日本人用にアレンジしたものでした。
正直、ぼくはこの手のセミナーって怪しいなぁって思ってました。
あなたはどうですか?
ぼくの話も疑いながら聞いてくださいね。
この10ヶ月講座で何をしたのか気になりますよね???
何か新しいことに挑戦しようとした時に「どうせ自分にはできないだろうな」っていうふうに思い込んだことってないですか?
これってわざわざ意識して「自分には無理だ」って思ってないですよね??
「なんでかわかんないけどできないと思っちゃう」
そんなふうに思い込んでしまう人って多いんです。
ぼくもそういう思い込みがすごかったんです。
フリーランスとしてやっていくのであれば、
「自分ならできる」と思えてないと辛いですよ。
行動できないから何も変わらない。
行動量が増えるから結果も出やすくなるんです。
だから、この「自分には無理、できない」と思い込んでしまう自分を変えることが必要だと思って10ヶ月講座を受けることにしました。
このプログラムの中でわかったことなんですけど、、、幼馴染がぼくに向き合ってくれたことと、公務員時代に向き合ってくれたNさんとKさんが自然にやってくれてたことがめちゃくちゃ近かったんです。
具体的な話をしますね。
このプログラムを受け始めた時に、公務員歴14年の経験を活かして「グッバイ公務員」っていう本を出したいと思ってたんです。
理由は、過去のぼくのように「なんとなく公務員になろうかな」と思う人って多いと思うんですけど、「公務員の仕事や業界のことをよく知ってから公務員試験を受験してもらいたい」と思ったからです。
「公務員になるか、夢を追うか」という選択肢を目の前にして迷った時に、「公務員は安定しているし公務員になろう」と親や周りの声に流れてしまう人も多いこともあります。
でも、実際これから日本の人口は減っていくので公務員といってもこれからの時代では絶対に安定ではないです。
「こんな業界なので、あなたに合っているかを知ってから公務員試験の勉強をしてくださいね」という想いからクラウドファンディングに挑戦しました。
でも、この挑戦をしている途中で支援が止まって停滞した時に、
「もう無理かも、ダメかも」
と思い込んだりしました。
その時に幼馴染じみがこの思い込みに気づかせてくれるんです。
「無理かもっていうけど、、、それ思い込みやんな?今必要なのはこんな行動じゃないの?」って。
「あ!確かに・・・」と気づいて必要な行動をとっていく。
その後も、「調子どう?」って定期的に進捗を確認してくれるし、「やっぱり無理かも」って思った時は、話を聞いてくれて、思い込みに気づかせてくれて、取るべき行動にも気づかせてくれるんです。
これを繰り返していたら100名を超える人たちが支援してくれたおかげで達成し、本を出版することになりました。
この幼馴染のように、目標に向かって一緒に伴走してくれる存在のことを「メンター」ということも学びました。
メンターがいると、
-
「無理かも」という思い込みに気づけて行動する時間が増える
-
必要な行動を気づかせてくれるので、行動量が増える
-
行動するから新しい価値観ができたり、習慣が生まれる
それをさらに継続することで、無意識、性格さえも変えていくことができる。自己決定をするためには、自分のやりたいことや思い込みに気づき、目標に向かって必要な行動をとることが必要だと学びました。
その後は、この10ヶ月プログラムで実践したことや、独自で勉強したことをベースに、取材活動をしたり、カウンセリング・セッションをしていくと、嬉しい感想をもらえるようになっていきました。
「こんな大切なこと知らなかったです!これみんなやったら日本変わる!」
「自分の想いがわかったし、伝えられるようになりました」
「世間の常識よりも自分の価値観を大切に生きようと思えるようになりました」
テレビや学校で学べたら良いことなんですけど、残念ながら学べないんですよね。
だから、
「なんで自分のことがわからないんだろう」とか
「決断できない自分はダメだなぁ」とか
「人と向き合うのが苦手な自分はダメだなぁ」とか
自分を責めたりしなくても大丈夫です。無理もないことなんです。
でも、ぼくのように環境やキッカケ、知識さえあれば自分を変えていくことができると信じています。
日本人に欠けている自己決定力を高めたい
過去に関西大学で大学生に授業をさせていただいたり、教員や教育者を志す大学生を対象にイベントをさせていただいて、確信しました。
日本人に足りてないのは、
-
自己認識力
-
自己決定力
-
対話力
の3つだと。
過去のぼくはこの3つがほぼ無かったので公務員として生活できていても楽しくないし、人生が前に進んでいる感覚が無かったんです。
前回、少し紹介しましたが、人生の幸福度を決める要素TOP3は、
1位:健康
2位:人間関係
3位:自己決定
この3位、特に自己決定がめちゃくちゃ日本人は低いです。
だから、日本は平均寿命が高くて豊かでも幸せじゃない。。。
ぼくも、自分が何をしたいのかとか、どう生きたいのかを決めることができ始めたのは29歳になってからだし、自分のやりたいことを決定できたのは35歳の時でした。
なんとなく過ごした時間は戻ってきません。
だからなるべく早く、多くの人が自己決定力を身につけられた方が自分らしく生きられるし良いことだと思っています。
だから「自分で自分の人生を決定できる人」を増やすことをライフワークにすることを決意しました。だから、今「自分を知る学校」を運営しています。
自分で自分の人生を決めて生きるには、自分の価値観などの想いを正しく理解すること、自己認識力が必要です。これが全てのベースです。
この力があるから人生の一大イベントにぶち当たっても自分らしい決断ができるようになる。自分の想いが明確だから、人に想いを伝えられたり向き合うことができるんです。
こんなことってテレビや学校で学べないですよね?
でも、後悔なく幸せに生きる上で超貴重な情報です。
10年かけてやっとわかりました。
だから、このことを1人でも多くの人に知ってもらいたいです。
もちろん、「自分には無理だ」と諦めながら生きる自分でいいやと思う人もいると思います。でも「自分ならできる」と前向きに考えて行動して現実を変えていける自分になりたい人もいますよね。
人生のターニングポイントでいうと、最も自分と向き合うタイミングは就活や進路選択の時期です。
このタイミングで自分と向き合わないとチャンスがないんですよ。
このタイミングを逃すと、就職した会社が潰れたりクビになったときに「これからどうしよう」って考えることになるかもしれないですけど、社会人になると忙しくなってこういうことは後回しになってしまうからです。
ぼくはこれまでの人生経験から、人は、人生の師匠やメンターとの出会いや環境、知識があれば変われることを身をもって実感しています。
こういった経験や想いから運営している「自分を知る学校」では、
①自分の思い込みややりたいことに気づける自己認識力
②人生を決定するための自己決定力
③人と向き合うための対話力
この3つを高めるカリキュラムを用意しています。
後悔のない人生を送りたい人は見逃さないようにしてください。
次回は、【TV・学校で学べない!】自分のことを理解するのが難しい2つの理由についてシェアさせていただきます。
不安や停滞感を取り除いて人生を前に進めていきたいのであれば、まず、人間が、自分のことをわかりにくい理由をおさえていきましょう!
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