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取材日:2019年8月21日

「教員を志望しているけど、教育関係の仕事で他の選択肢ってどんなものがあるんだろう?学校現場のリアルも知らないし・・・」と悩まれているあなたへ。元高校教師のながめさんは現在、予備校の数学講師として勤務しながら学生と直接関わりながらも休日は「アイドル研究家」として自分のやりたいことを楽しむライフスタイルを送っています。「教育学部を出たら教師」という固定観念に縛られず、1つの生き方・働き方として参考にしても良いかもしれません。そんなながめさんの「予備校講師になるまでの人生ストーリー」に迫ります。

「ぼくはもともと、私立高校の教員をしていたんですけど、将来なりたいものがないっていう子も多かったし、親に何の仕事をするのかを決められちゃってる子がいっぱいいました」
 
そう話すのは、現在、予備校講師として働く永目憲一郎さん、33歳。
 
「人を枠やレールにハメるシステムに対して、違和感を抱いたし、職業選択の自由度が低い!もっと自由でいいじゃんって思うんですよ」

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​なぜ学校教員を目指したのか

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▼ながめ
小学6年生の頃、両親がよくケンカしてたんで家に居たくなかったんですね・・・3つ年下の妹がいるものの、その頃そんなに仲良くなくて。運動もできないし、モテないし、自分に自信がなかったものの、勉強は好きだったんです。

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そんな中、中学生の時、「将来なんの仕事をするか」っていうふうに考えた時、子どもながらに知っている職業やキーワードを紙に書いて消していったら、
 
・芸人
・勉強
・英語
 
っていう3つが残ったんですね。
でも親に「芸人」って言ったら「ふざけないで!」って言われて…それ以外で目立つ職業ってなんだろうって考えたら教師だったんですよ。
 

Q:学校の先生になろうと思って大学に進学したんですね。 大学受験は苦戦せずに順調に合格したんですか?

▼ながめ
いえ、浪人しました。出身が熊本なんですけど、そこにある代ゼミに通ってました。
「家を出たい」って思ってたんで、京都教育大を受けて合格できました。浪人前後の成績はこんな感じです。

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Q:すごい!めっちゃくちゃ成績が伸びてますね!

▼ながめ

そうなんです。そういう経験があるから、成果が出ない子の気持ちがわかるんですよ。
大学に入ってからは、学祭実行委員をやったり、不登校の子たちと一緒にキャンプに行ったり。勉強も好きだったし、ゼミの先生が楽しい先生で最高でした。

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Q:じゃあ、そのまま順調に教師になれたんですか?

▼ながめ

いえ、大学4年の時にそのゼミの先生がいきなり「俺山梨に行くから!」って辞めちゃったんですね。それで後任の先生がやってきたんですけど、レポートの一言一句突っ込んでくる人で、みんな研究が進まないんですよ。ぼくも立ったまま6時間怒られたり(苦笑)

 

それがめっちゃキツかったんです。1日20時間勉強したり本を読んでレポートを書く日々・・・パソコンを打ってたら寝落ちして、ハッと起きたらまたパソコンに向かう。お風呂・トイレ以外、勉強勉強勉強・・・っていう生活をしていたら過呼吸になって、人生で初めて心療内科に行きました。
 
過呼吸の時はビニール袋で「スーハー」ってやってましたよ。

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Q:その先生との関わりってその後どうなりました?

▼ながめ

先生も「やりすぎた」って反省したようで、「卒論もう出さなくていいよ」って言ってくれたり、後輩やみんなにめっちゃ優しくなったんですよ。そのあと、別の大学に行かれましたけどね・・・。でも、その先生が「この私立高校で就職するの、どう?」って言ってくれて、そこの面接試験を受けたら合格して教員として働くことになりました。
 

私立高校の教員をして見えた世界

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Q:実際に私立高校の教員として働いてみて感じたことは?

▼ながめ

担任の先生をやりながら、入試関係の仕事や全国大会常連の部活の顧問もやってたんで年間8日しか休みがなくて26歳の時に体を壊しました。朝起きれないし、過呼吸になって…心療内科に行きました(苦笑)
 

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▼ながめ

あと、教員としてヒシヒシと感じたのは、「教員のコミュニティーって本当に狭いな」ということ。世の中の職業の本当のことをあまり知らないんですよね。
 
生徒も普通に生きてたら、

 
・親の仕事
・学校の先生
・美容師
・病院で働いている医師・看護師
 
という職業しかイメージわかないですよね。
 
ある生徒から「先生!助産師になりたい!」って言われたんですけど、コンパで知り合った助産師さんに根掘り葉掘り聴いてシェアしたら「先生ありがとう!」ってめっちゃお礼を言ってもらったんです。授業はもちろん大事だけど、教員が持つ人脈って本当に大事だなって思いました。
 
親も子どもが「バンドマンになりたい!」って言ってきたとして、知り合いに売れてるバンドマンがいたら「話をしてあげてくれ」って頼めるじゃないですか?やっぱり大人が「この世界にはいろんな仕事があるんだよー」って選択肢を提示することって大事だと思いますね。

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▼ながめ

教員時代とりあえずちょけてました(笑)
でも、授業だけは寝る間を惜しんで準備をしたので定評がありました。
高校の体験入学で、体験授業の講師に選ばれたりも。

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Q:現在は予備校講師として働かれているわけですが・・・なぜ教員を辞めたんですか?

▼ながめ

もともと24歳の時に「いつか塾を開きたいな」って思ってたんです。勤めていた学校が進学校だったこともあり、学校としては進学率がめちゃくちゃ大事なんですよ。
 
例えば、ある先生も悩みながら言っていたことなんですけど、生徒が「スポーツトレーナーになりたいので大学じゃなくて専門学校に行きたいです」って言ってきたとしても、「いや、〇〇大学の推薦枠で大学に行かないか?」っていう話をしないといけないこともあって・・・。
 
それって学校の都合じゃないですか?
生徒の夢を応援できてない。
 
「これってうちみたいな私立の学校だけなの?」って思って、教員の友達に聞いたら「うちもだよ」「公立もそうだよ」ってみんなそんな感じで・・・。ぼくは、学校は「子どもがなりたいものになるために応援する場所だ!」って思っていたんで、生徒の夢を壊すことに加担したくないって思っていたんです。

Q:自分が一人の人間として腑に落ちてないことを生徒に伝えるのは嫌だったということですね?

▼ながめ

そうですね。

あと「生徒の進路については親の影響がすごいな」とも思っていました。
 
女の子だと、だいたい看護師・保育士・公務員が多くて・・・。

男の子だと、経済学部か法学部、会社員みたいな。
 
イベンターになりたいとか、原体験からカウンセラーになりたいっていう子は20人中2、3人で。「これからAIの時代なのにこの子たちは大丈夫なのかな?」ってすごく心配になりました。
 
あと、茶髪の子を生徒指導したときに「髪色をなんで変えたらダメなの?」って聞かれても答えられないんですよね。自分は正直にいうと「自由でいいじゃん」って思ってるので。
 
学習塾の先生だったらそういうことも言わなくていいし、「〇〇大学に行きたい」っていう生徒の目標を一緒に達成することに集中できると思って、塾を起業するために教員を辞めたんです。
 

退職後に立ちはだかるビジネスの壁

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Q:ビジネス経験がない中での学習塾の起業はうまくいったんですか?

▼ながめ

難しかったですね・・・もう1人、同じ学校の同僚の先生と一緒に起業しようってなって、名古屋で駅近の一軒家を借りて、シェアハウスにもしながらそこの大きな部屋を教室にしたんですけど、お客さんが来ないんですよ(笑)
 
公務員家系で育ったので商売の仕方が全くわかってなくてビジネスとして軌道に乗らない。結局スタートもできずに起業は終了しました。
 
そのあと、家を引き払って一人暮らしを始めます。塾を経営したいのに塾の内情も知らないのはヤバイと思って、個別式の小・中学生の指導塾でバイトを始めることにしたんです。
 
この頃は本当にお金がなくて、1年間豆腐と水で過ごしました。肌はツヤツヤでしたけど、から揚げが美味しそうで仕方なかったです。

Q:塾での仕事はどうでしたか?大変でしたか?

▼ながめ

えっと・・・関西のノリで名古屋の人たちとコミュニケーションすると、モメることがあってね。

 

例えば、よしもと新喜劇のネタで、
 
「お邪魔しまーす」
「邪魔するんやったら帰ってー」

 
ってあるじゃないですか?
 
あのネタをやったらマジでキレて帰る子もいるし、ボケてたら「先生!先生は先生なんだからふざけないでください!」って小学生にキレられたりで最初はそのノリの差が大変でした。
 
でも、授業自体は楽しかったし、その学習塾の教室長っていう店長的なポジションの人をサポートしたりボランティアしまくってたら「社員になってくれ」と言ってもらえて、やっと水と豆腐生活が終わりました。

バイト→社員→エリアマネージャー→バイトの経験から得たもの

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Q:学習塾の社員さんって何をするんですか?

▼ながめ

講師は大学生の子たちがするので、ぼくはいかにその人たちが働きやすくなるかを徹底して取り組みました。
「お菓子配り」が仕事というか、コミュニケーションしてモチベーションをアップしたり問題を改善するんです。
 
というのも、学習塾の損益分岐点って生徒数が40人で経営がうまくいっている塾のボーダーが80人なんですけど、ぼくが社員になった教室の生徒数は30人。
学習塾のグループの中でも最下位なので、ヤバイじゃないですか?

だから、「〇〇先生が好きなカントリーマアム買っといたよ」って言ったり、会話するごとに絶対に1回笑わせるって決めて。そうやってキャッキャしてたら学習塾のグループの中で1位の97人の生徒数になっていったんです。

Q:え!もともとの3倍以上じゃないですか?それはすごいですね。

▼ながめ

そのあと、複数の学習塾を管理する立場のエリアマネージャーに昇進していったんです。
自分でもビックリしてたんですけどね。
 
でも、そうなると、妬む人も出てきて・・・あることないこと言いふらされて、総スカンを食らうんです。
 
「アンタがいるとイライラする」と言われたり、無視されたり。
 
で、病むわけです(笑)
人生3度目の心療内科へ行きました。

 

そのあとは、その名古屋の学習塾ではバイトに切り替えてもらって週3回だけ授業しにいってます。

Q:一気に転落というか、浮き沈みがすごいですね。

▼ながめ

でも、そのあと、ある友人が「YouTubeの撮影あるから遊びに来て」って誘ってくれて言ったら、大阪で獣医学部を志望する専門の予備校を経営している社長の取材だったんです。
 
「わざわざ名古屋から来てくれたの?」って社長が感動してくれて、これまでの人生を話したら「うちで働いて!って言ってくれたんですね。
 
それで今、好きな大阪で予備校講師として働くことができるようになってます。

今後の夢・目標

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Q:あ、アイドルが好きなんですね!

▼ながめ

はい。アイドルに夢中になった経験としては・・・大学生の時に心療内科に通っていたある日のことです。その日、気分が乗らなくてチャリをこいでたんですね。それで、フッと京都のビックカメラに入ってテレビコーナーの前を通ったら、AKB48のミュージックビデオが流れていて、そこで固まって動けなくなったんですよ。
 
「自分よりも若くてもこんなにがんばっている子たちがいるんだ!!」って涙が止まらなくて・・・人は挑戦している人の姿に勇気をもらうんだと実感しました。

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▼ながめ

それまではHi-STANDARDとか、Bump Of Chickenとか、RADWIMPSとかのロックばっかり聴いてたんですけど、180度価値観が変わりました。
 
ぼくみたいに33歳になっても、自由にやってる姿や思いを伝えていって、子どもたちも「もっと自由でいいんだ」って感じてもらえたらうれしいです(笑)

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Q:教育やアイドル研究を通じて得た知識をどう使いますか?

▼ながめ

ぼくは起業に失敗した時、「自分はリーダーに向いてない」って痛感したので、2列目までは下がらないけど、1.5列目のポジションで、挑戦する人を認めたり、セミナーしたり、アドバイスをしていけたらと思ってます。

サッカーでいうと、自分でもシュートを決められるけど、あえてラストパスを出す人ですね。
 
世の中には、良いものを持ってるけど正当に評価されていない人っていっぱいいるじゃないですか?そういう人の応援をするのが好きなんで(笑)
 
そんなふうにがんばろうと思います!

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Next Story

教育者のぼくがエンタメに挑戦するワケ

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▼ながめ

ぼくは今、獣医を目指す子どもたちに対して、予備校の数学講師として関わって、学力アップをサポートしているんですけど、獣医とか医者とか弁護士とか教師とか勉強ができないとなれない職業ってありますよね。その壁が立ちふさがるんで、そこをこれからも一緒にクリアしていきたいです。
 
あと、予備校講師も子どもも個性が大事!

真面目なだけじゃダメだと思っていて、面白く!


芸人テイストを取り入れて楽しく勉強してもらいたいと思うし、世の中の面白い人と出会って「いろんな生き方があるよー」と生徒に伝えて生きたいなって。
 
個人的には「アイドル研究家」として活動をして、SKE48と仕事ができるようになりたいです。松井玲奈ちゃんと高柳明音ちゃん推しです!

永目健一郎
プロフィール

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予備校講師

ブラック校則をゼロにするラッパー

アイドルグループ漢塾リーダー

【経歴】

1986年、熊本で出生。浪人生活を経て京都の教育大学へ進学。その後、滋賀県の私立高校の教員に。4年間の教員生活の中で学校教育のあり方に疑問を感じ、友人と名古屋で学習塾を起業。しかし起業に失敗し、1年間水と豆腐を食べて生きながら学習塾のアルバイトを経て社員に。エリアマネージャーとして経験を積んだ後、講師として活動することを選択。現在は大阪にある獣医専門の予備校で数学講師として勤務しながら、ブラック校則をゼロにするラッパー、国民的アイドルグループSMAPの後継者ユニット「漢塾」のリーダーとして活動を通じてチャレンジする人を全力応援している。モットーは「真面目にふざける」。

空っぽの教室

Life Story

〜2019年

私立高校の教員から予備校講師へ

Life Story

2019〜2022年

教育者のぼくがエンタメに挑戦するワケ

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ストーリー後編(準備中)

SNS

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ライターの紹介

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水樹ハル

クラウドファンディングライター

自分を知る学校 校長

【経歴】

1982年11月25日生まれ、奈良県出身。2004年に奈良県庁職員として採用。在職中は、精神保健福祉の担当として、「死にたい」という電話・対面相談や精神科病院への移送と診察の立会業務に4年間で600件従事。その後、広報担当者として、奈良県の地域で活動する方々を取材し、記事を奈良県庁HPに掲載。せんとくんTwitterやFacebookを軸としたSNSでの発信を展開。その後、2018年4月に独立し、フリーランスとして活動をスタート。同年6月23日から38日間「グッバイ公務員」という著書を出版するためのクラウドファンディングに挑戦し、115名から支援をいただき目標を達成。

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著書出版後、関西圏の大学・短大・高校の授業やイベントで「変化の時代の生き方」や「安定からの挑戦」をテーマに講演活動をスタート。

2020年1月からは、オンラインサロン「自分を知る学校」を開校し、メンバーの「チャレンジマインド」と「関係性を築く力」を育成。

2022年2月からは、クラウドファンディングプロジェクトを丸投げできる「スバキリ商店」にクラウドファンディングライターとして加入。これまでライティングを担当したクラウドファンディングプロジェクトの総支援金額は1300万円、総支援者数は1100名超え。「誰もが自分の人生を決定でき、挑戦できる社会」と「夢に向かって挑戦する人・次世代を支える日本の未来」を実現するために活動している。

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